必勝しゃもじの由来は?起源の日露戦争との関係とウクライナへの贈呈の意図を解説

岸田総理が戦場ウクライナへ電撃訪問し、ゼレンスキー大統領へ贈った『必勝しゃもじ』が話題になっていますね。

なぜ戦場の前線で緊張感が張り詰めた現場のリーダーに「しゃもじ」を届けたのか、疑問に感じる人も多いはず。

岸田総理に対しては「しゃもじを送るなんて非礼だ」との見方も強いようです。

しかし、ウクライナでは意外と必勝しゃもじが喜ばれているという一面も。

必勝しゃもじの由来や意味を知ると、岸田総理の狙いや意図が分かってきます。

必勝しゃもじの起源となった日露戦争との関係についてまとめてみました。

目次

必勝しゃもじ日露戦争が由来

しゃもじが勝利のシンボルとして使われ始めたのは、1904年の日露戦争が発端となります。

広島県の宮島では、ロシアとの戦いに出兵する兵士が旅立つ出征地の1つがありました。

戦場へ旅立つ軍人が無事に戻って来られることを祈願し、お守りとして「しゃもじ」が使われます

しゃもじは「飯(めし)をとる」もの、それが転じて「敵を召し取る(めしとる)」の意味を揶揄し、勝利の象徴として使われたのです。

軍人やその家族は、宮島にある厳島神社にお守りしゃもじを奉納したと言います。

その後、日本という小国が大国ロシアを撃破し、歴史的な大成果になったため、勝利のシンボルとして「必勝しゃもじ」が広く伝わることになりました。

今でも勝負の場面では「必勝しゃもじ」が使われることが多く、広島では有名なお土産の1つとして知られています。

岸田総理が「必勝しゃもじ」を政治の場面で利用したのは、ウクライナ訪問が初めてではなく、自民党総裁選でもお守りとして使っていました。

岸田総理が広島出身であることと、しゃもじが広島由来のものであることから多用しているのだと思われますが、わざわざウクライナへ送ったのには別の狙いもありそうです。

必勝しゃもじウクライナへ贈呈の意図は?

岸田総理がウクライナへ必勝しゃもじを贈呈したのには、表向きには

  • 出身地である広島の特産品を外交の手土産にするのは通例
  • ウクライナで祖国を守る戦いをする人々に対しての敬意

とされています。

しかし、戦場に「しゃもじ」を送るのに違和感を感じる人は多いですよね。

先ほどご紹介した通り、必勝しゃもじは『ロシアに勝った象徴』です。

ロシアを打ち負かしたシンボルでもある必勝しゃもじをウクライナへ送った意図に、「ロシアへの勝利」が含まれているのは間違い無いでしょう。

ウクライナ側もこの史実を知った上で必勝しゃもじを報道しており、とても好意的に受け止められているようです。

ロシアも日本の挑発行為と報じているように、海外でも必勝しゃもじの意味は「ロシアに勝つ」と受け入れられています。

岸田総理のウクライナ訪問は、日本はウクライナを後方支援することを世界にアピールする狙いがあると思われます。

表立って武器を送ることはできないので、しゃもじを使って暗号的にウクライナ支援を表明したのではないでしょうか。

まとめ

この記事では、必勝しゃもじの由来や日露戦争との関係、ウクライナへ贈呈した意図などを紹介しました。

岸田総理からゼレンスキー大統領へ必勝しゃもじの贈呈は、日本では物議を醸していますが、ウクライナでは好意的に受け止められている事実もあります。

どのように感じるかはそれぞれですが、この贈り物が日本へ影響を与えないことを祈るばかりです。

ここまでご覧いただきありがとうございました。

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